作:あくっちゃん

ニカラグアの地図(産経新聞社の資料より)
http://www.sankei.co.jp/map/chubei.html

第1回 ニカラグアの概要を読む
第2回 食と娯楽
第3回 ニカラグア人の好きなところ・嫌いなところ
第4回 ニカラグアにある日本製品
第5回 ニカラグア人の日本人観
第6回 ハリケーン −その1−

第8回 ハリケーン −その3−
第9回 ハリケーン −番外編−
第10回 今まで出会った人たちへ感謝をこめて

第7回 ハリケーン −その2−

木曜。昨日に引き続き雨だった。
夕方からまた雨足がひどくなった気がする。
明日は、首都にある隊員連絡所の引っ越しのため、首都に行かねばならない。仕事が休めるけれども、面倒だなあ、などと考えながら翌日の準備をしていた。
そうしているうちに、雨はどんどん激しくなっていく。私がホームステイしていた家は、まわりよりも低地にあるのこともあり、庭が水につかりはじめた。これ以上雨が激しくなると確実に水かさが増して家の中に水が入り込む!
とりあえず家の人たちと、床においてあるものを全てテーブルの上やベッドに置いた。
水が入り込んでも外にかき出せば支障はないのであまり深刻には考えないようにはしていたのだ。
しかし、困ったことに電気と水が止まってしまった。おまけに電話がつながりにくくなったのである。ろうそくをつけたが、激しい雨の中、暗闇の中で水かさがどんどん増していくのは正直言って怖かった。
そして夜10時頃、とうとう家に水が入り込んだ。

水をかき出している様子――この後、椅子の脚が見えなくなる所まで、水が入った

しかし、この時は「床上浸水の記念写真を撮ろう」などど言いながら写真を撮ったりする余裕はまだあった。くるぶしくらいまで水がつかったが。
そのうち雨足が弱まったので、床に溜まった水や泥を家族総出でかき出した。この時点で夜中の12時を過ぎていた。

しかし、である。再び雨が激しくなってきた。もう寝るどころではない。またまた家に
水が入り込んできた。今度は膝下まで上がってきた。
ベッドの上においてある荷物もこのままでは大丈夫だろうか?という心配もあったが、ここは天に運を任せることにして、取合えず家の人と、向かい側の喫茶店(少し高い位置にある)に避難することにした。

崖のように見えるが、市内の道だったところ。川の増水のため、崩れた。

ふと家の裏を見ると、そこを流れている川が決壊寸前にまできている。この時は正直言って私も自分の人生の覚悟をした。色々な思いが頭の中を駆け巡ったものである。
結局そのまま朝まで家に入れず、水が引いてから再びみんなで家の中を掃除した。あれは本当に辛かった!

まあ、川も決壊しなかったし、荷物などに大きな被害はなかったので、不幸中の幸いではあった。
これはどう考えても異常事態なので、翌日首都にある事務所に公衆電話で電話した。何と、ここから首都に行く道路の橋が大雨のためにいたるところで寸断されているという。
隊員連絡所の引越しの手伝いに行くどころではない。と言うより、行くのは不可能である。
周囲では色々な報道がなされていたらしいが、私たち被災地の中にいる人間は電気も水もないので、よく状況を把握していなかった。

唯一の情報源がラジオであったが、私はよく聞き取れず、家の人に解説をしてもらっていた。
それによると数日前から隣国ホンジュラスの上空にハリケーン・ミッチが居座っており動かないのだという。それで、ホンジュラスに多大な被害をもたらす一方でニカラグアの主に北西部にも大雨を降らせているらしい。
両国で、土砂崩れが起きたり橋が寸断されたりして、孤立してしまっている地域が出てきていると言う。
ニカラグアでは(これは日本にも放送されたそうだが)、カシータ火山(私の住んでいる街から見える山)が頂上から大規模な土砂崩れを起こし、ふもとの村をのみこみ約2000人が死亡した。普段よく眺めている山だけに、びっくりした。
もし、その隣の山が同じように土石流を起こしたら、間違いなくこっちに来るであろうと思うとぞっとした。

ラジオでは、どこで何人がけがをして何人が死亡した、と報じていたが、とにかく数が膨大だった。でも、これは全く情報が交錯していたらしく、結果的にはニカラグアの死者は2000人を超えるくらい(つまりほとんどの死者がカシータ火山の土石流の被害者だった)で、ニカラグアとホンジュラスを合わせて約1万人の死者が出たと言う。
隣国ホンジュラスは国全体がハリケーンにやられてしまったのである。
これだけ死者がたくさん出たということは、ホンジュラスに行っている同期隊員達に何かあってもおかしくはない、と覚悟はしていた。だから、後日皆無事だという情報をもらったときは、ほっとして体の力が抜けた。

ハリケーン直後は、いたる所で木が倒れていた

私が一番恐れていたのは、道路が寸断されたために首都からの物資の輸送がなされないために、物不足状態になるのでは、ということである。水が出ないことも重なり、スーパーではミネラルウォーターが姿を消し、パンなどもほとんどなかった。
とにかくビスケットとジュース類を買い込んで、電気や水が復活するのを待つことにした。
幸いなことにこれらは約2日後に復活した。

その頃世界各国では、ホンジュラス、ニカラグアを中心としたハリケーン・ミッチの被害地域への援助が始まろうとしていた。国内でも、そして私の街でも、海外ボランティアと地域の人たちが手を組んで、避難所への食料配布などの緊急援助活動を始めようとしていた。

 

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